「来」と「黒」

銀河鉄道の夜』自筆原稿で気になった字の一つが「来」。旧字は「來」だが、昔からあまり書かれてこなかった字体で、智永の千字文も……

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(右が楷書、左が草書。楷書でも「来」で、しかも点ふたつは繫がっている)

よく見られるのがこの「耒」(耕・耘の部首、これも「ライ」。ただし現代中国音は異なる)の形の「来」だ。日本のフォントでは一画目を左払いに作るが大陸のフォントでは横画だ。
手塚治虫の自筆ネームでもこの字体を書いている。

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ところが、賢治さんは原稿に74回「来」を書いているうち、なんと45回が「來」なのだ。清書の際に意識して正字を書いたというわけでもなく、黒インクの書字スピードの速い行でも「來」が出現する。

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残り29回は「耒」の形、そのほとんどは草書だ。

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だが、鉛筆で楷書の「耒」を書いているところも3個ある。

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もう一つ気になるのが「黒」。JIS漢字では包摂規準の99番が「黒」と「黑」で、この字体差を区別しないことになっている。Unicodeでは区別している。ところが、JIS X 0213で、「人名用漢字許容字体」として包摂規準を適用せず追加した文字の中に「黑」があるからややこしい。「墨」にも「墨」が同じく追加された。一方、『濹東綺譚』の「濹」は包摂規準99番が適用されるので、「サンズイに墨」も「サンズイに墨」も同じ「濹」ということになる(フォントは両方のグリフを持っているので、切り換えることはできる)。
大陸は簡化字でも「黑」なのだが、実際のところ手書きで「黒」と書かないかというとそんなこともない。
黒沢明監督は最近は「黒澤明」と表記されることが多いようだが、自筆(?)で「黑沢明」と書いてあるのを見た記憶がある。
さて、賢治さんだが、45回書いたうち、「黑」12個、「黒」13個、草書が20個だった。

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なんとも絶妙な交じり具合である。

『銀河鉄道の夜』原稿中の異体字

明治・大正の作家の自筆原稿を見て、「(旧字でなく)常用漢字を書いている⁉︎」と驚く人がいる。作家は新字体を書いているわけではなく、当時普通に用いられていた俗字・略字を書いているに過ぎないのだが。
たとえば作家が「体」と書いたとしても、その当時なら印刷所では「體」を拾うのが普通で、それが現代では常用漢字に直して「体」となるが、べつに原稿に忠実にそうしたわけではない。
もっとも、作家の書いた異体字が活字ケースに在庫している字と同形だった場合には、その形のまま拾われることもある。漱石の書いた「双(雙でなく)」や樋口一葉の「皈(歸でなく)」などはそんな事情があるかもしれない。
さて、『宮沢賢治銀河鉄道の夜」原稿のすべて』から、異体字に着目して拾ってみよう。
前回にも触れたが、賢治さんは同じ漢字を草書で書いたり楷書で書いたり、略字を使ったり正字をわざわざ書いてみたりと、活字本では統一されてしまう様々な異体字を書いている。その理由はわからないが、この原稿の成り立ちの複雑さが一因であるようにも思える。
銀河鉄道の夜』の原稿は、初めに鉛筆で下書きされ、途中まで青インクで清書された後、また推敲されてブルーブラックのインクで再度途中まで清書され、そこから鉛筆と黒インクで書き足され、直されている。数年にわたる改稿を経ながら、遂に発表には至らなかったものだけに、自筆とはいえ様々な時期の様々な精神状態が積み重ねられた原稿なのだ。
普通に考えても、下書きの段階では心に浮かぶ言葉を急いで文字にしようとするために走り書きとなり、草書や略字が多くなるだろう。一方、下書きを傍に置いて清書するときには、原稿用紙の升目に合わせて一字ずつ丁寧に書いていくから、楷書で書かれ、略字もあまり使わないということになるだろう(実際にどうなのかは検証しなければわからない)。
ここでちょっと脱線して、原稿を活字化する際の編集の問題に触れておこう。
第一章の表題だが、十字屋書店版の全集以来ずっと「午後の授業」となっていたのだが、校本全集からは「午后の授業」となった。賢治さんがそう書いているからだが、もちろん「後」の簡体字が「后」なので、「后」を「後」に直して出版することには何ら問題ない。ただ、『銀河鉄道の夜』の中でこの字が使われるのはこの「午后」と「放課后」、そして「後光」だけであり遣い分けがあると考えられなくもない。校本全集ではその点を考えて「午后」としたようだ。しかし、「后」が出現するのは黒インクの走り書きの草稿であり、「後」はブルーブラックインクの清書の原稿にしか現れない。また「後光」は二箇所にあるが、もう一つは鉛筆の古い草稿に黒インクで手を入れた箇所に出現し、「后光」となっている。要するに賢治さんは走り書きの際には「後」を「后」と書くのであり、遣い分けは存在しないので、「午后の授業」とする理由はないのだ。

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繁体字簡体字の対応という意味では、「燈」と「灯」もそうで、当用漢字字体表までは「燈」だったのを常用漢字表で「灯」に字体変更しているという経緯もある。したがって常用漢字で印刷するならすべて「灯」にしてしまうところなのだが、過去の全集も校本全集以降もこの字については賢治さんの遣い分けに従っている。「電燈」「燈台」などと「あかり・ひ」と訓読みする「灯」を区別しているのだ。

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「燈台」のついでに「台」と「臺」について。十字屋書店版やそれを親本にした岩波文庫版ではすべて「臺」、戦後の出版ではすべて「台」に統一されている。賢治さんは「台」と「䑓」を遣い分けの様子なく混在させている。

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さて、まず原稿で草書体が書かれている文字を探してみる。草書だということは書体が違う(楷書でない)のだから「異体字」ではないわけで、話が違うことになってしまうが、とりあえずこれは草書だから別問題ということを示すために並べてみる。

f:id:koikekaisho:20150720122647p:plain「一時間」(黒インク) f:id:koikekaisho:20150720122703p:plain「一時間」(黒インク)

f:id:koikekaisho:20150720122736p:plain「早」(黒インク) f:id:koikekaisho:20150720122809p:plain「早」(ブルーブラックインク)

f:id:koikekaisho:20150720122930p:plain「高」(鉛筆)

f:id:koikekaisho:20150720122958p:plain「博」(黒インク)

f:id:koikekaisho:20150720123022p:plain「夜」(黒インク)

f:id:koikekaisho:20150720123047p:plain「見」(黒インク)

f:id:koikekaisho:20150720123115p:plain「伝」(黒インク) f:id:koikekaisho:20150720123144p:plain「伝」(ブルーブラックインク)

 

その他にもあるが、草書が使われるのは鉛筆と黒インクのみで、ブルーブラックインクや青インクでは書かれていない。

ただ、「学」だけは、

f:id:koikekaisho:20150720123233p:plain「学」〈長靴をはいた學者らしい人が〉(ブルーブラックインク)

f:id:koikekaisho:20150720123401p:plain「学」〈その大学士らしい人が〉(ブルーブラックインク)

と、一度だけ正字を書いて同じ紙に略字(草書の形)を書き、その後もすべて略字である。次の用紙では、二回の「大学士」の間に、

f:id:koikekaisho:20150720123427p:plain「時間」〈「もう時間だよ。行かう。」〉(ブルーブラックインク)

が書かれているので、この「学」も草書の意識はないように思われる。
また、その前に、

f:id:koikekaisho:20150720123455p:plain「実」〈くるみの実のようなもの〉(ブルーブラックインク)

f:id:koikekaisho:20150720123511p:plain「実」〈「くるみの實だよ。〉(ブルーブラックインク)

と隣り合う行に異なった字体で書かれているものもある。「実」も草書の形からできた略字だが、もはや草書の意識はない。

 

そのほか、字体の異なるものは、

 

f:id:koikekaisho:20150720123559p:plain「円」(ブルーブラックインク)

f:id:koikekaisho:20150720123613p:plain「円」(ブルーブラックインク)

f:id:koikekaisho:20150720123643p:plain「円」(黒インク)

 

f:id:koikekaisho:20150720123705p:plain「図」(ブルーブラックインク)

f:id:koikekaisho:20150720123743p:plain「図」(ブルーブラックインク)

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「図」(ブルーブラックインク)

f:id:koikekaisho:20150720123851p:plain「図」(鉛筆)

f:id:koikekaisho:20150720123913p:plain「図」(黒インク)

 

f:id:koikekaisho:20150720124108p:plain「写」(ブルーブラックインク)

f:id:koikekaisho:20150720124133p:plain「写」(黒インク)

 

f:id:koikekaisho:20150720124159p:plain「帰」(ブルーブラックインク)

f:id:koikekaisho:20150720124238p:plain「帰」(ブルーブラックインク)

f:id:koikekaisho:20150720124258p:plain「帰」(黒インク)

 

f:id:koikekaisho:20150720124350p:plain「声」(ブルーブラックインク)

f:id:koikekaisho:20150720124428p:plain「声」(青インク)

f:id:koikekaisho:20150720124510p:plain「声」(黒インク)

 

f:id:koikekaisho:20150720124539p:plain「奇」(ブルーブラックインク)

f:id:koikekaisho:20150720124554p:plain「奇」(青インク)

 

などで、やはりブルーブラックインクの清書の時に正字を書こうとする意識が強い。


もう一つ、賢治さんの特徴的な字体として「北」がある。

f:id:koikekaisho:20150720124737p:plain「北」(ブルーブラックインク)

この簡化字の「業」(业)のような「北」も面白い。

宮沢賢治の手書き文字

1980年に出た『新修宮沢賢治全集』(筑摩書房)の第十二巻には箱全面を覆う帯がついていた。毎月こつこつとこの全集を買っていた頃が個人的な第二次宮沢賢治ブームだった。この帯の裏表紙側には『銀河鉄道の夜』冒頭の原稿の写真が載っていて、賢治さんの手書きの文字に大いに興味をかき立てられた。

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まずタイトルが『銀河鉃道の夜』と書かれている。戦前の出版物なら『銀河鐵道の夜』だし、戦後なら『銀河鉄道の夜』となる。俗字の「鉃」は活字にはならない。

原稿全体を見てみたいと思いながらも当時は術もなく、そのまま時がすぎた。
Twitterで、『宮沢賢治銀河鉄道の夜」原稿のすべて』という本が存在することを知ったのは最近で、にわかに第三次マイブームに突入したわけだ。

影印を舐めるように見ながら、まずは賢治さんが変体仮名を書いていないか確かめた。以前芥川龍之介『河童』の原稿が公開されたとき、「か」や「な」が概ね変体仮名で書かれていることを確認したが、芥川より五歳若い賢治さんはほとんど変体仮名を用いていない。「が」「な」「に」の三字にのみ、ところどころ変体仮名を用いている。同じページで二種類の字体が混在するが、明確な遣い分けのあるようには見えない。

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強いて言えば書くスピードが上がると変体仮名が出現しやすいような傾向があり、また同じ字が近くに並ぶ場合に片方を(意識的に)変体仮名にすることもあったかもしれない。
これらも活字本からは知ることのできない情報だ。

漢字では、まず「言」が二回しか使われていない。活字で「言」となる他の箇所はすべて「云」が書かれている。

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「鉄」は一箇所だけ「鐵」(ちょっと崩れてるが)が書かれ、ほかは「鉃」だ。

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「沢」は賢治さんの苗字にもあるが、本人が遣い分けを意識していたという。『春と修羅』の表紙が「沢」で箱が「澤」なのは本人の意思ではないようで、箱に「詩集」と銘打たれたのも気に入らなかったらしい。
原稿では概ね「沢」だが「駅」は正字。一箇所だけ草書風に書いたところがある。

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「水」は清書の意識がある箇所では楷書で書いているが、草稿では草書になることが結構ある。同じページで二種類の字体が出現することもある。

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「事」も草書と楷書、行書風の「亊」も書かれている。

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続きはまた暇を見て。

 

宮沢賢治とエスキモー?

宮沢賢治の作品に初めて出会ったのは、伯父から贈られた岩波書店刊の二冊の童話集(現在は品切れ)だった。初版は1969年11月とあるから、読んだのは遅くとも1964年前半で、私は五歳だった。

 

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そのなかで、『銀河鉄道の夜』に次の一節がある。

 

「鳥が飛んで行くな。」ジヨバンニが窓の外で云ひました。「どら、」カムパネルラもそらを見ました。そのときあのやぐらの上のゆるい服の男は俄かに赤い旗をあげて狂氣のやうにふりうごかしました。するとぴたっと鳥の群は通らなくなりそれと同時にぴしゃぁんといふ潰れたやうな音が川下の方で起つてそれからしばらくしいんとしました。と思つたらあの赤帽の信号手がまた青い旗をふって叫んでゐたのです。「いまこそわたれわたり鳥、いまこそわたれわたり鳥。」その声もはつきり聞えました。

 

この一節は、反故の原稿用紙の裏に鉛筆で書かれた最も古い草稿からまったく変わっていない。『銀河鉄道の夜』は数次にわたる改作が行われ、死後活字になってからもその原稿をどう解釈するかによって様々な異なる版が作られてきたが、この一節についてはどの刊本も(改行位置、仮名遣い、漢字の字体、読点の追加、送り仮名やルビの付け方および漢字をかなに開くなどの編集上の変更の除いては)同一である。

 

賢治は「ぴしゃぁんといふ潰れたやうな音」の正体について何も書いていない。しかし、五歳の私にはその音ははっきりしていた。「手ばたき山」の打ち合わさる音だと。

 

宮沢賢治童話集より前に、伯父から贈られて読んでいた「岩波おはなしの本」シリーズに、「カラスだんなのおよめとり」(1963年7月、これも品切れ中)があり、そのなかのいくつもの話に「手ばたき山」が登場しているのだ。

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(今日図書館で久々の対面をした)

 

渡り鳥の渡りの途上に必ず通らねばならない厳しい関門「手ばたき山」。アラスカエスキモーの民話に登場するこの山のことだと、五歳の私は素直に納得したのだった。

 

だが、『銀河鉄道の夜』のこの一節が書かれたのは1924年という。「カラスだんなのおよめとり」の原著は『BEYOND THE CLAPPING MOUNTAINS Eskimo Stories from Alaska』by Charles Edward Gillham and Chanimun。1943年刊行の本で、今ではウェブ公開されている。

https://openlibrary.org/works/OL182365W/Beyond_the_Clapping_Mountains

 

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この民話集がアメリカで出版される20年も前に、宮沢賢治は「手ばたき山」のことを何で知ったのだろうか。もちろん民話自体はずっと古いものだろうが、それが明治・大正時代に紹介された証拠が見つからない。あるいはアラスカエスキモーのみでなく、もっと広範囲にこの「渡り鳥の関門伝説」が存在し、賢治の知るところとなったのか。

まったくわからない。

 

半世紀前には納得していたことが、大疑問になってしまったというよくある話。

今年は変体仮名の符号化が……

10月末に更新したっきりなので、そろそろ何か書こうと思いつつ面倒で……。
ネタを思いついてもTwitterに断片的にアップして事足れりとなってしまう。

変体仮名の符号化に若干進展があったことも、書いておこうと思いつつそのままになっているが、今月中に国内でのレパートリー取りまとめと符号化方法の議論を行い、9月にはISO/IEC 10646への追加提案をする予定だそうだ。

そこまで進んだところで水を指すのもなんだが、ホントに変体仮名を符号化していいものなのだろうか、と思い悩むわけで、そのへんのことを書いておく。

まずはTwitterに投げた画像ふたつ。

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智永の『真草千字文』から草書の漢字をいくつか拾っただけのもの。
「知婦也女為」はひらがなの「ちふやめゐ」そっくり。
「阿以可登者婦之乃夜耳」は変体仮名の「あいかとはふしのやに」と変わらない。
もちろん仮名が成立する以前に中国で書かれた文字である。

●「仮名(かな)」は日本語を書き表すために日本で生まれた文字である。
●「仮名」とは漢字を用いて日本語を書き表す用法であり、文字そのものは漢字である。

矛盾するようだが、どちらも正しい。歴史的に二つの側面を仮名は持っている。
それを踏まえて「変体仮名の符号化」を考える。

現代の視点では「変体仮名は平仮名の異体」であるから、平仮名に異体字選択符号を付けることで符号化すればよいと言える。IVSならぬKVS。「あ」は「あvs00」で、「阿」が「あvs01」などとすればいい。vsに対応しないフォントでは自動的に平仮名に戻ってくれる。
ところが、この方式だと上に挙げた「夜」とか、下の「等」のような場合に厄介なことになる。

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「夜」は「や」「よ」の両方の変体仮名、「等」も「と」「ら」の両方の変体仮名として用いられるので、自動的にどちらかに戻されては間違いになってしまう。

では、歴史的視点に立って、「変体仮名は元となった漢字の異体字」と考えてはどうか。
例えば、「阿」は「阿kvs00」とか、「以」は「以kvs01」(「以kvs00」=「い」)とするわけだ。
書作品を活字に起こす際には変体仮名は漢字で表すのが通例だから、kvsに対応しないフォントでは自動的に漢字に戻ってくれるのも悪くない。
ところが、これにも問題があって、元になった漢字が何かという点で異説のある仮名が存在することだ。
「つ」は「川」だが、「門」「⾾」説もあるし、「て」の変体仮名に「天」と「弖」の二説あったりする。

それならやはりvsはあきらめて、普通の符号位置を与えたらどうか、U+1B002からU+1B0FFで254個、U+1C000からU+1C0FFで256個の「空き領域」がある。現状のレパートリーは287字なので十分なスペースが空いている。
ただ、どう見ても「草書体の漢字」にしか見えない「変体仮名」にこれだけの独立した符号位置をくれというのは、なかなか度胸(というか厚かましさ)がいる。おまけにU+1B001(や行のye)とそっくりの「あ行のeの変体仮名」も入れることになる……。

どうするのかなぁ。

異体字ってやつは本当に…

常用漢字表に示された漢字の字体には、
A:伝統的な楷書の書写体
B:康熙字典
C:略字体
の三種類が混在している。

同じ漢字でありながら字体が異なるもの、つまり「異体字」には、
a:伝統的な楷書の書写体で不採用となった字体
b:康熙字典体で不採用となった字体
c:略字体で不採用となった字体
d:他の書体(楷書でなく篆書、隷書、草書)で書かれたものを無理に楷書としてしまった字体
e:同音同義だが別の造字法で作られた漢字

などがあるが、常用漢字表(当用漢字字体表)以前から存在する字体という意味でひとしなみに「旧字」と言われてしまうこともある。

常用漢字表で括弧付きの漢字がbのパターンだが、この中にはaかつbというものもある。
例えば「桜(櫻)」「沢(澤)」など常用漢字がC(略字)のパターンだ。
aであってbでないものというと「㑹」がそうで、bは「會」、Cが「会」という具合だ。

「高」の場合は「髙」がaで、「吉」のaが「𠮷」というように伝統的な楷書の書写体が康熙字典体に変えられたケースでは必ずと言っていいほど外字が発生してきた。
「塩」の場合はAと言っていいが、「鹽(b)」も書かれたことが『徒然草』にも出てくる。

さて、何の話かというと、またも始まるタイポグラフィセミナー

http://www.visions.jp/b-typography/

告知に大きく載った講師の名前が難しい。日下さんのブログでは、「告知の羽良多さんの苗字〈良〉の游築見出し明朝体は、字游工房に作ってもらった。」とある。

http://www.bgx.jp/blog/?p=500#more

「羽」と「平」はGSUBでもIVSでも康熙字典体に変更できるが「良」は無理。康熙字典体も「良」なので。

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左のは「羽󠄁良多平󠄁吉」ではなく「羽󠄁一艮多平󠄁吉」と打って誤魔化している。

小宮山さんの資料では、確かにこう作った「良」が存在したことがわかる。

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異体字ってのはホント厄介ですなぁ。

 

『新字源』の改訂は可能か? 角川の漢字データベース

8時間耐久シンポジウムに参加したのでレポート(たぶん『ちくちく日記』に詳しいのが上がると思うが)。

 

知ったのはTwitterで、

http://kokucheese.com/event/index/200886/

 

ひと月前だ。これを予約してしまったために、名古屋のDTP勉強会や『文字の食卓』さんのレクチャーなど興味深い催しを諦めることになった。

 

さて、このシンポジウム、いったいどういうものなのか。漢字データベースについてのシンポジウムといったら、

 

漢字データベースプロジェクト

 

ここの関係者がいてもよさげ、と思ったが見当たらない。で、主催者は「角川文化振興財団」というところだ。コーディネーターは阿辻哲次センセー。ミスターUnicode戦記の小林龍生サンも絡んでる。

 

開会挨拶を聞いても、まだよくわからないまま第一部が開始。

 

最初の発表が刘志基教授、华东师范大学で金文や楚簡のデータベースを作っている人。

华东师范大学中国文字研究与应用中心

 

面白そうな話なのだが、通訳がしどろもどろでイライラする。

 

続いては日本から4人の出演者。一人15分縛り。

まず国語研の高田智和氏。ただ、話は国語研ではなくHNGの紹介。

HNG

 

次が、永崎研宣氏。もちろんSATの紹介。

大正新脩大藏經テキストデータベース ホーム

 

そして田代秀一氏。IPAです。

IPA MJ文字情報検索システム(簡易版)

 

午前の最後が凸版の田原恭二氏。

文字情報技術促進協議会

ここの開発中のデータベース。AdobeJapan1-6の文字検索ができるもの。

 

質疑応答の時間、午後の出演者である朱先生から高田さんに質問が。これも通訳に難ありで微妙なところがわからないが、HNGの基本テーゼ「初唐標準」に文句があるらしい。「その字形は草書であって楷書ではない。標準の楷書とは言えない」というようなことを仰っている様子。激論に発展したら面白いがうやむやに終わる。

 

昼ご飯のあとは第二部。

阿辻センセから、「福岡は志賀島で漢字についての国際会議があり、そのために来日した方々に来てもらって今回のシンポジウムを開催した」とのこと。

フランスからは、Bottero Françoiseさん。

お話は「漢學文典(Thesaurus Linguae Sericae)」について。 いまURLを入れようとするとつながってくれない。

 

次に台湾東海大学の朱岐祥教授。

この人の話はデータベースではなく、贋の青銅器を銘文から見破る話。金文の字形がおかしい(下手なだけじゃないのか?)とか、あり得ない名称が鋳込まれているとか。

紹介された贋青銅器の銘文に「王在西宮」とあって(にしのみや在住のワンさんか!)、じつに興味深い。昔読んだ小説を思い出してニヤニヤ。

陳舜臣『殷周銅器の贋作者たち』 http://www.sakuhinsha.com/essay/9419.html

 

パネルディスカッションのはずなのに、あまり「議論」は盛り上がらず。

 

第三部は司会が小林龍生さんに代わって、パネリストは3人。

まず永崎氏が午前中にできなかったSATのデモ。

神崎正英氏が、RDFURIの話。

高野明彦氏が、連想検索の話。

想−IMAGINE Book Search | 多様な情報源の想いを連ねて発想しよう!

 

なんだか「漢字データベース」からはどんどん離れていった気がしないでもないが、人文科学へのコンピュータ利用という線で何とかつながっている。

 

最後に角川歴彦氏の挨拶で、謎が解けた。

 

『新字源』という漢和辞典がある。

僕も中学校に入学したときに買った。コンパクトでよい字典である。

JISの漢字規格が最初に作られたとき、準備作業の段階で『新字源』が使われたのをご存知だろうか。

「佞」という字、UnicodeではU+4F5Eで、「佝佞佟」と並んでいて部首は「人」だが、JISでは53区04点で「妝佞侫妣」と並んでいて部首は「女」である。これは『新字源』の配列だ。

1万字弱の親字数で漢字番号が付いているという点で、非常に便利だったために採用されたのだろうが、名前に違わず字源を考究したうえで部首分類も独自の立場をとるなど特徴のある字書なのだ。同じ角川でも『漢和中辞典』では「佞」は「人」部に配列されている。

ところが、この『新字源』、もう30年くらい改訂されていない。

活版印刷で、紙型を保存して増刷を続けてきた(最近では紙型でなくフィルムを起こしてオフセット印刷しているかもしれない)もので、大きな組み替えは不可能なのである。

常用漢字表が改訂されても人名用漢字が追加されても対応できない。

だからこそ最新のデータベース技術で改訂版を……って話かと思ったら、

「新字源の改訂版は今の角川書店の体力ではできません」

と言われてしまった。

「一人の学究と出版社が手を携え何年もかけて字書を編むというスタイルは現在の出版状況ではもはや不可能」

なんだか三浦しをんの『舟を編む』みたいな話になってきた。

「そこで比較的体力に余裕のある角川文化振興財団で漢字データベースを作り……」

そのために阿辻先生を招聘したようだ。

そうして作ったデータベースが、『新字源』改訂版のために使われるのか、それともWebに公開される(有料か無料か)のか、そういうことはまだこれからの話であるらしい。

8時間近い耐久シンポジウムはこれにておしまい。おなかいっぱいです。