「に」の消失?
あまりこのブログでは書かないことを書く。
日本語が変わってきたなぁと、思うことが増えた。年を取ったということかもしれない。私の知っている日本語とは違う「平成の日本語」が生まれつつあるような気がしてきている。
これは諺や慣用句の誤用(「三日にあげず」を「三日とあけず」とか「新しい浴衣の袖を通す」を「代表ユニフォームに袖を通す」など)とか、レストランやコンビニでの新婉曲話法(「ハンバーグランチになります」「千円からお預かりします」など)とは異なった性質のものだ。
困ったことにこの新しい日本語はテレビのアナウンサー、キャスター、放送記者といったマスコミの人々が使っているので、あっという間に全国に広がってしまいそうなのだ。
最初に気づいたのは二三年前、(文言は記憶によるので正確ではない)「三人の閣僚が靖国神社を参拝しました」というものだった。それを言うなら「靖国神社に」だろう。単なる言い間違いだろうと思った。
「靖国神社を」と聞いたら、「侮辱したのか? 爆破したのか?」と身構えてしまう。神社に出掛けて玉串を奉納したのであれば、「に」でないとおかしいと昭和の日本語しか知らない私は思う。「靖国神社を参拝」と言われたら、議員会館の窓から靖国神社のほうに向かって頭を下げている図が浮かぶ。「宮城(きゅうじょう)を遥拝する」のと同じことだ。
昨日、新聞(朝日夕刊)を見て愕然とした。
〈あれ、新聞でも。「〜を切りつけ」が普通になったのか。個人的には「〜に切りつけ」でないと気持ち悪い。 pic.twitter.com/xHDSQIoB7q〉
「住人を切りつけ容疑」とはまた意味不明な見出しだが、翌日の朝刊でも「を切りつけ」と使っていた。テレビのニュースでも「に切りつけ」と「を切りつけ」が半々な感じであった。今ネット上でニュース検索しても半々である。
もう一つ、最近になって富士山が世界遺産に登録というのでいろいろ番組で取り上げていた。その中でしょっちゅう「富士山を登る」という言い回しが出てくる。
「船頭多くして船山に登る」。山とくれば「に登る」ものだと私の石頭がブツブツ言い始める。
Twitterでアンケートをとってみた。〈「私はもう100回以上富士山⚫︎登りました」。⚫︎に入るのは A:「に」ですか、 B:「を」ですか。普通だと思うほうをお答えください。〉
30人の方から回答をいただいたが、28人が「に」だと答えてくれた。どうやら「平成の日本語」は私のタイムラインではいまだ少数派のようだ。
ただ、「山とくればにに決まっている」という石頭ではなく、語感からそのほうがしっくりくる、登っている姿をイメージするとをになる気もする、というように場合によって使い分けることを考えている方も多かった。
(今日の私のツイート〈昨日のアンケート、地域差はないと書いたが、東西はなくても南北はあるかも。富士山さ登る、富士山ば登る。反則だが。〉はその結果を見ながら考えたこと)
「に」も「を」も格助詞で、動作の対象や場所を示す。辞書を引いてもその使い分けは難しいが、動詞によって「に」をとるもの、「を」をとるものがあり、同じ動詞が両方をとる場合は意味が異なる。
「仕事をする」と「仕事にする」。後者は「組版を仕事にする」というように「する」の目的語は「仕事」ではない。「重労働をする」と「重労働にする」。これも同じ。これらの「に」は「山に登る」「神社に参拝する」の「に」とは役割が異なる。
「学校に集まる」「学校を集める」。自動詞と他動詞による違いということもある。「切りつける」は辞書によれば自動詞なので「に」になる、ということでいいかもしれない。「切る」ならば他動詞だから、「女性を切る」となり、「女性に切る」とはならない。「私は彼女に切った」という文は「見得を」とか「小切手を」などの言葉が抜けているのだ。
しかし「登る」といえば「坂を登る」(校正者は「上る」に直す。「登坂」という熟語があるのに)は「に」ではおかしい。自動詞なのに。となると、動詞だけで決まるものでもないわけだ。「坂」と「滝」の場合は「のぼる」は他動詞になるのか? 「崖」もある。「崖に登る」のと「崖を登る」。「に」だと、裏の坂を登って崖の上に達してもいいが、「を」だと攀じ登らないとならない気がする。
「行く」は「に」を伴うが、「へ」の場合もある。雑誌のライターが「動物園へ行く」と書くと校正者が「動物園に行く」と直す。「オラ東京さ行くだ」を書き換えれば「俺は東京に行く」になるか「俺は東京へ行く」になるか。東京という地点を意識しているなら「に」だし、「ここ(田舎)」を意識して都会という意味での東京なら「へ」が妥当な気がする。司馬遼太郎には『街道を行く』がある。「我が道を行く」というのもある。「行く」も自動詞なので「を」はおかしいかというと、これはそうでもない。本当に日本語に自動詞と他動詞の区別があるのかどうか怪しくなってきてしまった。
「工場を見学に行く」「工場に見学に行く」。さて、この違いは難しい。
「『工場を見学』に行く」と「工場に『見学に』行く」と区切れば筋が通りそうだ。
こういうことは専門家に任せてあまり悩まないのがストレスを溜めないコツだから、このへんで切り上げよう。
「を」が「に」の領分に侵入して、その領分を侵犯しつつあるのが「平成の日本語」だという話である。そのうち「に」が消失してしまうかどうか、そんな先のことはわからない。