IPA変体仮名仕様書の字母(さ行)
今野真二『百年前の日本語』の「はじめに」に、〈現代は、使用する文字、漢字の音訓などに関して、できるだけ「揺れ」を排除し、一つの語は一つの書き方に収斂させようとする傾向が強い。(中略)日本語の歴史の中では、むしろ特殊な状況化にある〉とある。
明治中期以降、漢字の制限や字体の(康熙字典体を基準とする活字の)標準化、仮名のいろは仮名への一本化などによる日本語表記の標準化が行われ、第二次大戦後はさらにそれが推し進められた。
文明開化=欧米列強に追いつくための合理化、そして敗戦からの復興のための合理化が必要不可欠であったため、古いものを捨て新しいものを取り入れることが第一であり、表記の単純化・標準化もその一環だったと見ることもできよう。
ところが、1970年代の終わり頃から、風向きが変わり始めた。日本が豊かになることで失われつつある文化を惜しむだけのゆとりが生まれたせいなのか、表記においても多様化・個性尊重が求められようになる。
食生活でも、60年代には錠剤一粒で栄養補給できるというのが「未来の夢の食事」として紹介されていたものが、「自然食」「スローフード」「素材本来の味」などがもてはやされる時代に変わった。実際の食生活が冷凍食品、ファストフード、工業化された均一な食材の普及によって成り立つ「未来の食事」になっているというのに。今や、「天然素材と伝統的調理法」による料理も、冷凍されてトラックで宅配されるのである。
日本語の表記も、「旧字体」「先祖代々使用していた姓」などへの拘りが尊重されるようになり、そうした文字が「コンピュータで使えない」ことが欠陥であるかのように言いなされることになった。
では、多様な表記に寛容になったのかといえばそうではない。むしろ「正解」の幅は狭まる一方、揺れの許容よりは非寛容に走るのが現代である。個性尊重と言いながら異端を排し、単一の価値観を押し付けられるままに信仰する。漢字でいえば木偏の縦画を跳ねるだけで罰点にしたり、手書きならばあって当たり前の字体の揺れに目くじらを立てて文字コードで区別せよと主張したりするのもそうした非寛容さであり、やはり急進的で一面的だった経済成長優先の合理主義の裏側に張り付いている無意識の表出なのだろう。(うわぁ、すごい悪文)
さっさと本題へ。
さ行の変体仮名の字母は、
47左 48佐 49沙 50斜 51散
52之 53四 54志 55事 56新
57寸 58春 59須 60壽 61數
62世 63勢 64聲
65所 66處 67曾 68楚
(太字は二種類の変体仮名があるもの)
「左」の字形例は、
など。住基仮名の
の形はどこからきたものか。
「佐」は二種。これも住基仮名はおかしい。
「之」は「し」と「し(上に一点あり)」を区別する考えもあるが、
このように、よりまっすぐなものと、
漢字の形に近いものは区別しておこう。住基仮名は「え」に見えてしまう。
「新」の活字字形は
その他の字母として、「慈」があるが、これは「じ」のようだ。濁音専用の仮名というのもいくつかあるのだが、これを認めるかどうかも議論の余地ありか。
「須」も二字形ある。
「世」は住基仮名に二字形ある。
「曾」は「そ」の字母でもあるが、明治初期に多く見られたのは、
の方で、最終的にいろは仮名にならなかったのは「ろ」との差を大きくしたかったからかも。もう一つ、
の形もある。